204 名前:SS[sage] 投稿日:2008/04/08(火) 22:30:52 ID:C/MUL5N70 (PC)
「今日の日替わりは・・・・・・駄目ね。焼き魚定食にしましょう」
日替わり定食の見本にため息を付き、千早は焼き魚定食のボタンを押す。
育ち盛りの中学三年生が選ぶにしては、渋い選択肢だ。
「ふう、今日はテーブルを確保できて良かった」
午後六時過ぎ。飲食店は混む時間帯だがこのチェーン系定食屋はそれほどでもない。
味も値段もまずまず、店が空いていれば、一人でもテーブル席に座れ、おまけに長く居られる。
家に食事が用意されていないだけでなく、家そのものに居たくない千早には大助かりだ。
「いただきます」
割り箸を手に取り、追加注文の一五品目野菜サラダを口に運ぶ。
もうメニューを見ただけで思い出せる味だが、不味くはないので文句は言わない。
健康志向の味付けだし、定番メニューを選んでいる限りはハズレもない。
今の千早にとって、このお店の味が家庭の味だ。
「ごちそうさま」
食器の載ったトレイを移動させ、テーブルに備え付けのふきんでテーブルを一旦拭く。
拭き忘れて、ルーズリーフに醤油のシミを付けてしまった失敗を忘れない。
「今日は数学と英語を進めて・・・・・・」
いよいよ志望する高校の試験も間近だ。
大学への進学率も高く、まずまずは名門である高校。
本来は一人暮らしをしたいが親が納得しない。納得させられるとしたら、学生寮への入寮。
一人暮らしと引き替えに、音楽活動が出来なくなるのでは、全く意味がない。
そこで家からも近く、親を納得させられる学校を選んだ。
「ふう、この調子なら合格できそうね。良かった」
問題集の実戦レベル問題を解き終え、採点したが幸いにも全問正解。
塾や通信教育を受けず、独学の千早にとって、頼りになるのは問題集と学校の先生。
もっとも後者は千早が歌関係のコンクールに出ているのを快く思っていないので、
質問や相談するのは心理的な抵抗がある。
「そろそろ帰らないと」
荷物を纏め、店を出ると涼しい風が頬を撫でていく。
夏服ではそろそろ厳しくなりそうだ。
「今日は・・・・・・大丈夫そうね」
慎重に周囲を見回し、千早は安堵のため息を付く。
以前に一度だけ民間ボランティアの補導員に捕まりかけたのだ。
幸いにも言い逃れることが出来たが、もし親に連絡をいれられたら、と思うとぞっとする。
あの両親なら外出禁止を言い出す可能性がある。それだけはまっぴらごめんだ。
「ただいま」
玄関でそう声をかけ、リビングの騒音は無視して、自分の部屋からパジャマを片手に風呂に向かう。
マンション住まいの如月家。千早はリビングを一番奥にした設計者に感謝する。
自室も風呂もトイレもリビングを経由せずに済む。
シャワーを浴び、相変わらずのリビングから聞こえる雑音を無視し、自室に入る。
ヘッドホンでお気に入りの曲を聴きながら、机に座り、預金通帳と財布の中身を取り出す。
親からは食費とおこずかい兼用で毎月五万円をもらっている。
親が出すのは学費と通学費だけなので、文房具や衣服もここから自分で出している。
「今月の食費がこれだけ、勉強関連が・・・・・・参考書が高かったわね。
 ふう、なんとか今月のレッスン代と新譜代は捻出できそうね」
お小遣い帳と呼ぶには切実過ぎる帳面を見て、千早は安堵のため息を付く。
「はぁ、早く歌で独り立ちしたい」
この言葉を何度言っただろうか?
級友の中にも自分の夢を語る連中はいる。
しかし、千早の言う自分の夢は彼らと切実さ、真剣さが違った。
そう言った意味では休み時間に笑顔で将来の夢を語る級友より、
毎日毎日グランドで汗水流す運動部員の方が彼女と同じかもしれない。
「大丈夫。地道に実績を積んでいけば、きっと関係者の目に留まるはず」
焦る自分にそう言い聞かせる。
決して綺麗な世界ではないと聞いている。
コネもツテもなく、後ろ盾もない自分が焦って変な誘いに乗れば、一巻の終わりだ。
「お姉ちゃん、頑張るからね」
そう呟き、千早は不安を押し殺してベッドに入り、目を閉じる。
千早が暗闇に光を見出すには、まだしばらくの時間が必要だった。

コンビニでなく、定食屋で思い浮かんだ